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2013-09-20

WE ARE THE WORLD - 1985 (日文)

WE ARE THE WORLD - 1985

來源:mjfcmoonwalk.com
【 WE ARE THE WORLD - 1985






 1995年・あの歴史的イベントから10年後、当F.C.会誌上では記念レビューを記載しました。
 そしてさらに15年の月日が流れ、満25周年をここに迎えました。 (※2010年1月現在)

 この機会に、すっかり観なれ&聴きなれた "We Are The World" を新たな気持ちで反芻し、曲に託された真摯な訴えを1人1人が改めて胸に深く刻み込みたいものですね。
[文中 敬称略]







"We Are The World" レビュー     付記: 参考資料


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◆◆◆ "We Are The World" レビュー ◆◆◆
( VOL.73 / Mar 1995 )






― あの歴史的イベントから10年 ―


 今から10年前、1985年1月28日、この日 ポピュラー音楽史上に残る歴史的なイベントが行なわれた。
 『American Music Awards '85』 (以下 AMA) の収録後、LAのA&Mスタジオに45名のアメリカを代表するトップシンガー達が一堂に会した。
 そのメンバーは、レイ・チャールズ,ボブ・ディラン,ダイアナ・ロス,ティナ・ターナー,ブルース・スプリングスティーン,ウィリー・ネルソン,スティービー・ワンダー,シンディ・ローパー,ビリー・ジョエル,ライオネル・リッチー,そしてマイケル・ジャクソン等。
 彼らはアフリカの飢餓を救済するためにこの夜、心をひとつにし、歴史に残る “あの1曲” を生み出した。
 その曲は地球上の何百万人・何千万人もの人々の耳へと届き、口ずさまれ、人と人の心をつなぎ、それは食糧や薬品・物資となってアフリカのたくさんの飢えた子供たちのもとに届いたのだった。



その他、スタジオ・ミュージシャンとして ジョン・ロビンソン(ドラムス),ルイス・ジョンソン(ベース),
グレッグ・フィリンゲインズ,スティーヴ・ポーカロ,デビッド・ペイチ.マイケル・ボディッカー(キーボード)



上記ジャケット用写真の別ショット



 ことの始まりは、ハリー・ベラフォンテが ケン・クレイガンに
 「飢餓で苦しんでいるアフリカのために、何か出来ることはないだろうか?」
と話したことだった。
 クレイガンは、このことをクインシー・ジョーンズに話し、歌によるチャリティーを出来ないだろうか?と持ちかけた。 クインシーはこのアイデアに賛同し、プロデューサーという大役を引き受けることになった。

 クインシーは、単なるポップヒットではない特別な曲を創りたいと考えた。 そこで彼は、作曲をマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーに依頼したのだった。【※】

 【編集より: 正確には、クレイガンはまずライオネルと彼の自宅で打ち合わせ、その後クインシーに依頼。 曲作りは当初ライオネル担当の予定だったが、ちょうどマイケルからクインシーに別件の電話があり、マイケルは話を聞くとすぐ 「ぜひ曲作りにも協力したい」 と申し出た

 この動きは連鎖反応のようにたくさんのアーティスト達に拡がり、そして 『USA for AFRICA (ユナイテッド・サポート・オブ・アーティスツ・フォー・アフリカ)』 が結成されたのだった。


'85年1月27日、オーストラリアのTVに衛星中継で出演したクレイガン,クインシー,ベラフォンテ。
エチオピアから移動してオーストラリアに滞在中のボブ・ゲルドフと共に、アフリカ救済を訴えた。



 マイケルとライオネルは、この曲創りのため 4日間お互いの家を訪れて夕食を共にし、語り合った。
 そしてライオネルがメロディー案をマイケルに渡し、マイケルはその日のうちにスタジオ入りし、たった2時間半たらずで リズム,ソロ,コーラスの全てを組み上げてしまったという。 マイケルの天才ぶりを示す驚くべきエピソードである。


1月22日、LAにあるケニー・ロジャース所有のライオン・シェア・レコーディングスタジオにてデモ録音


超一流のミュージシャン,エンジニア,その他おもてに出ない面々の功績もあればこそ、の1曲



 マイケルは曲創りについて、自らこう語っている。

あの頃、僕はよくジャネットに
 「ねぇ、ちょっと来てよ」
と頼んでは、クローゼット・バスルームといった 音が面白く聴こえる場所へと連れて行って、歌の一節やリズムを歌って聴かせたものです。
 とはいえ ちゃんとした歌詞ではなく、ただ喉の奥を鳴らして
 「ジャネット、何が見える? この音を聴いてどんなものが見える?」
と訊いたのです。
 すると、彼女はこう言いました。
 「アフリカの死にそうな子供たちが見えるわ」
 「そのとおりだよ。 僕の魂から沸き上がってくるのは、まさにそれなんだ」
 すると彼女は言いました。
 「アフリカのことでしょ。 死にそうな子供たちのことを言ってるんでしょ」
 こうして、"We Are The World" は生まれたのです。
 暗い部屋に入って、僕はそこでジャネットに歌って聴かせました。 歌手に出来る事は これなんだ、と心の中で思いました。 たとえ暗い部屋の中ででも僕らは歌うことが出来るし、またその事で何かしらの影響を与えることが出来るのですから。
 僕らは、TVのお蔭で多くのものを失ってしまいました。 ああいう発達したテクノロジーが無くても・あるいは映像を使わなくても、音だけで人を動かすことは出来るのです。



 そして1月28日の夜、この曲に命が吹き込まれる時がやってきた。
 このレコーディングに使われる器材や 150人を超える技術スタッフは全て、約300社余りからの無償の協力によるものだった。
 この日、マイケルはAMAへの出席を取り止めてガイド・ヴォーカルを録音、これはコーラス用の元歌に使われた。

 そしてAMAの後に集まった45名のトップシンガー達は、最初にコーラスを・そしてソロ部分をレコーディングし、途中でもさまざまなアイディアが出され、試行錯誤が繰り返された。
 曲の一部に変更があると、マイケルが前へ出て変更部分のパートを歌ってみせ、それに続いて皆が歌うというレッスンが行なわれた。



ダイアナ: 「あー♪ …ちょっと最初の音ちょうだい?」(掴@顎)  マイケル:(照)(笑)(照)





 レコーディングは、コーラスパートは明け方まで続き、ソロパートが終了したのは朝8時。
 こうしてあの歴史的な名曲 "We Are The World" は生まれたのだった。



ポール・サイモンと / ウィリー・ネルソンと


ケニー・ロギンス&スティーブ・ペリーと


ビリー・ジョエルと / 3月にビリーとの結婚を控えたクリスティ・ブリンクリー&ボブ・ディラン&ビリーと


ダイアナ・ロスと。 ちなみに、右下に見切れているのは ボニー・ポインター。
「マイケルの写真を撮らずに帰ろうもんなら、娘2人から殺されちゃうわ」



 2月6日、クインシーは半月前にデモ録音をしたライオン・シェア・レコーディングスタジオに レイ・チャールズ,ジェームス・イングラム,スティービーを召集し、終盤サビを追加レコーディングした。



4月5日(金)、世界中の8,000を超えるラジオ局により、一斉に "We Are The World" は流された。
 そしてこの曲は、人種・信仰の壁を超えて何百万人もの人々の心に訴えかけ、リリース10週間後には650万ドルもの収益金が集まった。

 このセッションは世界中のアーティスト達に影響を与え、カナダやラテンアメリカ等 世界中のポップスター達が、アフリカの飢餓救済のために次々と立ち上がった。
 まさにこの年は、音楽によって人々の心が動かされた年となった。


8月24~25日 『24時間テレビ・愛は地球を救う』(日本テレビ) では日本語訳で歌われ、
また約1時間のドキュメンタリー込みの映像を、コマーシャル挿入なしでノンストップ放映。



 "We Are The World" は、 '85年9月13日 『MTVビデオ大賞(MTV-VMA)』 で2部門,'86年1月27日 『AMA』 で2部門,2月25日 『グラミー賞(GRAMMY)』 で4部門,3月11日 『ピープルズ・チョイスアウォード』 で1部門を受賞。


『AMA』 では、ホスト役のダイアナが最後に関係者たちをステージに上げ、コーラスを先導


『GRAMMY』 では、マイケルとライオネルに、素晴らしい曲を作り出した功績を讃えて 「Song Of The Year (年間最優秀楽曲賞)」 が贈られた。
 2人の受賞が発表されると、『GRAMMY』 の会場からいっぱいの拍手が贈られ、2人はステージへと上がった。

 マイクの前に立つと、2人は 「先にしゃべれよっ」 といった感じにふざけ合いながらお互い譲り合い、ライオネルの方からスピーチを始めた。
 そしてマイケルはファンの歓声に応えて投げキッスをし、神様に・プロデューサーのクインシーに・そして曲を書かせてもらえた事に対し感謝の言葉を述べた。 そして次の瞬間、マイケルは何かを考えるように少し黙った。 そしてゆっくりと、高くて優しい声で最後にこう会場に語りかけた。
 「 ― この会場を出た後も、子供たちのことを忘れないで ― 。」


 拍手と歓声の中、2人はステージを下りていった。
 それはとてもまっすぐな響きを持った言葉だった。 そう、マイケル・ジャクソン、彼はこの 『GRAMMY』 の会場を出た後も・そしてこの曲への賛美が終わった後でも、いつだって世界中の子供たちの幸せを願っているのだろうから。
・・・ END ・・・


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◆◆◆ 付記: 参考資料 ◆◆◆






= フライヤー =



'85年ビデオ発売・アメリカ


'88年12月14日ビデオ発売・日本
(来日記念価格リニューアル・VHSのみ)


'02年12月04日DVD発売・日本
(初DVD化・右は予約申込書)


'05年6月24日DVD発売・日本
(20周年記念版2枚組)



= 音源・映像 =



LPアルバム / 12インチシングル / 7インチシングル / カセット2種



 CDアルバム('90年版) / DVD+CDシングル('06年版) / DVD+CDシングル('10年版)



レーザーディスク / VHSテープ・日本版 / βテープ・日本版 / VHSテープ・海外版2種



DVD : 2002年版 / 20th Anniversary Special Edition 海外版・日本版 / 2010年版   microSD



= オフィシャルグッズ =

( )内は、1つ購入することで現地でまかなえる物の一例です。


 トレーナー (アフリカの子供1人の1ヶ月分の食糧) / Tシャツ2種 (ペニシリン100本分)


 ボタン・セット (接種用の注射針100本分) / ピン・セット (医院用の体温計4本分)


 ポスター (アフリカの人1人の1ヶ月分の食糧運賃)
 カセット (アフリカの子供100人分のポリオ予防接種) / 公式本 (同 15人分の結核予防接種)




= その他の公認書籍 =



ピアノ譜 / LIFE誌('85年4月号): 密着取材レポート掲載



= 劇場上映 =

"We Are The World" は '86年4月12日より松竹富士配給で劇場公開されました。
メタル&ハードロックのスター達による "We are All Stars Hear 'N AID" を同時上映。
上映時間 計1時間33分、もちろんロイヤリティー(映画上映権料)はすべて基金へ。


劇場用パンフレット





"We Are The World" は 50時間, "Hear 'N AID" は 30時間分の映像から劇場用映画として再編集



= クインシーからの召集令状 =

クインシーから全アーティストに配布(貸与)したデモカセットに添付された手紙です。


< クリックすると大きく表示されます >


― 要 旨 ―
(※全文ではありません)

1985年1月23日
親愛なるアーティスト諸君へ

諸君がその才能を、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーによって書かれた "We Are The World" のレコーディングへ寄与いただける件にご賛同を賜り、誠に幸いであった。
このプロジェクトは、いかに特別なものか?
この業界において、私はこれまでこのような事を目にしたことは無かった。 エンターテイメント業界が世界の貧しい人々の援助に深く関わっていると言えるという事は、実に喜ばしい。

同封の歌入りカセットは、それを成す 打ってつけの物品だ。
ソロの配分は未決定である。 ソロとアンサンブルの全ては、レコーディング中に主要な目的に基づいて決定されるものとする。

私が最も感銘を受け 心を突き動かされたのは、諸君が自身の誇りをもってドアの外にエゴを置いてくる勇気でこの企画を受け入れる覚悟を固めているという、その精神性だ。
我々が一致団結できるイベントを組め、喜ばしい限りである。まさに諸君のその精神こそが、このプロジェクトを完璧な形での成功へと導けるのだから。

1月28日、我々には沢山の成すべき作業があるため、この曲と歌詞に慣れておいてほしい。
そして午後10時ちょうど、****へお越し願いたい。

このナンバリングされているカセットが諸君の手から離れたら、どれほど重大なことを招くか、とても表現できるものではない。
複製はいっさい作らず、28日の夜 このカセットをご返却願いたい。 DJ達はいとも簡単に入手してしまうのだ。
尚、このカセットは、不適当な扱いを阻止するため わざとラフなデモの形態で作られている。

諸君と関係できたことは、光栄の到りである。 このリストにある全氏名は、35年間のキャリアにおいてもクリエーターとして・そして1人の人間として私の中で特別な位置を占めるものだ。
諸君自身の多くを賜り、感謝している。 我々すべては諸君の献身を評価し、我々の持ち得る権限で いついつまでも残る金字塔を打ち建てるべく尽力するつもりだ。

いつの日か、諸君の子供たちが 「ママとパパは、世界飢饉との闘いのために何をしたの?」 と訊いてきた時、諸君は誇りを持って今回のことを語れるだろう。



= 楽譜・歌詞 =



< クリックすると大きく表示されます / A4判プリントアウト可 >



マイケル手書きの歌詞。
おそらく後年 "そら" で書いたもののようで、チャンポンになっている



= サイン =



100枚のサインはオークションにかけられ、落札金はそのまま基金へ



(マイケルのサインは中央てっぺん)





これはシンディさんというA&Mスタジオ側の女性に宛てたものらしい?
(マイケルのサインはタイトル冒頭の上下)




LPアルバム&12インチシングルへのサイン
(マイケルのサインはいずれも中央より左下側寄り)




ミュージックビデオ冒頭でのサイン
(マイケルのサインは左上の赤文字)



= A&Mスタジオ =




ビッグ・アーティスト達のレコーディングセッションは、 『STUDIO A』 にて展開
1人につき5名までの招待客は 『GUEST ROOM』 にて中継映像を介して見物


ちなみに、元々ここは 『チャーリー・チャップリン・スタジオ』 という映画スタジオでした。


"Smile" の挿入曲がある 『モダン・タイムス』('36年)の撮影にも使用されたスタジオ
・・・ END ・・・





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