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2013-09-20

『ジャム』誌 独占interview 1980

來源:mjfcmoonwalk.com






■ 心に "孔雀" をもつ褐色のエンターティナー ■

 木曜の昼下がり。
 ここハリウッドの誇る高級スタジオでは、ジャクソン家の5人の息子のうちの3人 - マイケル・ティト・ジャッキーがテーブルを囲んで、熱帯色豊かな健康食のスナックをほおばりながら、ファンクラブから届いたばかりの質問の山に目を通してはクスクスと声にならぬ笑いを浮かべている。

 
 ジャクソンズにとっては、音楽は常に万病の妙薬・あらゆる病も人の心の歪曲も音楽が癒してくれるかもしれない。

 マイケルが語った。
「僕は、音楽なら全て大好きなんだ。どんなタイプの音楽だろうと、その1つ1つが地球上のどこかに自分の場を持っていると思う。本当だよ。
 ねぇ、僕の言ってるとおりに書いて欲しいんだ。
 子供に向かって、この子は白・この子は黒・この子は日本人、って言うようなものだよ。みんな子供は子供じゃないか。人種差別を連想させられるよ。レッテルなんかゴメンだね。とても馬鹿げてるよ」
 となると、『Destiny』の裏ジャケットにある、マイケルとランディの添え書きももっともであろう。
「鳥の中で、色という色を1つに出来るのは孔雀だけだ。
 僕たちは、この孔雀のように全ての肌の色を音楽への愛を通して1つにしたい」


 この考えは、ニュー・ウェーヴにどう反応するかという私の質問に、答えとなって表われた。
 例えば、ある種の音楽のファンが、次に登場してきた新しいフォームを非難する。ビートルズファンがパンクを槍玉に上げるのはやむを得ない事なのか?
 ティトは、話を逸らしてふざけてみせた後で、キリキリと語尾を引き締めた。

「音楽は、何といってもアイデアが勝負なんだ。前人未到の境地を切り開く努力が必要なのさ。何かオリジナルな事をやろうとするには、それしかないよ。
 ごらん、'50年代にリトル・リチャードが成し遂げたものを。当時は沢山の人が批判したね。でも、今じゃクラッシックさ」

 
 ジャクソン家がいかに芸能一家といえども殆んどが音楽に限られていたが、近ごろでは兄弟は、他のメディアにも関心を拡げつつある。
 例えばマイケルは、先ごろ映画『The Wiz』に出演し、以来フィルムの形で後々残っていくという映画の永久性に味をしめてしまったようである。
「フィルムは永久に残るからね。早く次の話が来ないかとウズウズしちゃうよ。
 ツアーに出れば凄くエキサイトするよ。でも終わればその興奮も消える。
 だけど映画をやると、その期間・瞬間が永遠に釘づけされるんだ。スターは死んでもね。そう、チャップリンの映画は、彼の生前そのままに永久に息を繋いでいくのさ」


 兄弟各自が、実は少なからずこの味をしめてはいるらしい。
 1人1人がビデオを持っていて、過去10年間にわたって自分たちの出演したTV番組は録画して残してあるそうな。

「ものすごく小っちゃい頃のエド・サリバン・ショーからあるよ。何につけてもキャッキャ笑うんだよ」
とティト。
「そうそう、子供の頃の自分を垣間見るのは何とも妙な気分だよ」
とマイケルが続いた。
「ダイアナ・ロスのスペシャル番組で、最高のバスケットボール・ゲームをやったんだ。
 図体の恐ろしく大きいスポーツ選手ばかり、ラムズのロージィ・グリーヤー、レイカーズのエルジン・ベイラー、ライダースのベン・デビットソン、それにバスケットの選手で6フィート9インチもあるビル・ラッセルもいたよ。彼のボール捌きはものすごかった。
 もっとも、リズムに合わせて歌を歌うことは出来なかったけどね」
 そう言ってマイケルはくすくす笑うと、突如ジャッキーが口を開いた。
「ねぇ、おまえあのテープ持ってんの? コレクションに1本欲しいなぁ。今度来た時テープに録らせてよ」





 マイケルにしろ他の兄弟にしろ、レコーディングにかけてはもうすっかり手際を心得てしまっていて、自分たちのアルバムを自分たちでプロデュースするまでになった。
 マイケルはソロ・アルバムで、今やコ・プロデューサーとして歴史にその名も轟くクインシー・ジョーンズと肩を並べている。
 2人が出会ったのは、映画『The Wiz』を通して。



「僕たちの根気が報われたんだ」
 プロデュースの成功にご満悦のマイケルは語る。
「いいかい。僕は小さい頃からずっと一流の人たちに混じってスタジオに出入りしてた。ギャンブル&ハフ以来ずっとね。
 僕はただ身体で覚えていったんだよ。じっと見てるだけで勉強さ」
 この自力本願の兆候は、スティービー・ワンダーに源を発していると言っていい。
「よくスティービーのセッションを覗いては、たまげて帰って来たものだよ。スティービーはその場にどかっと腰を据えて、何でもやっちゃうんだ」

 ジャクソンズは世界のあちらこちらをツアーで回っているが、特に日本について語る時、彼らの言葉は一段と熱くなった。
「ステージ以外では日本の人たちってとても温かくて、至れり尽せりなんだ。ステージでは目を見張るような反応がある。
 音楽は万国共通語だって言うけどさ、本当に、僕たちが演奏してる間は言葉の壁を超越してると思いたいな。
 でもさ、日本の人たちの中には、とっても流暢に英語を話す人がいっぱいいるんだよ。すごくびっくりしちゃった。きっと学校か何かで必要なんだろうね」。

「僕は空港での出迎えがいちばん感激したな」
と言うのはジャッキー。
「ビートルズがアメリカへやって来た時のことを思い出させる気分だった」



73年4月22日、『東京音楽祭』出席と東京・大阪・広島公演のため初来日



 プライベートになるとジャクソン兄弟にライバル意識のかけらも見当たらないのは、実に驚かんばかりだ。
 ランディの早熟に気づき、曲の共作を勧めたのはマイケルその人であり、その結果は言うまでもない、あの『Shake Your Body』のスマッシュ・ヒットとなる。
 同様に他の兄弟たちも、マイケルの一人旅を気に留める節はない。
 彼らは、マイケルには成し遂げるべき彼独自の創造の道・進むべき別の方面があると認めているからだ。

 

「学びたいことが山ほどあるんだ」
 マイケルは目を輝かせて言った
「とりわけ、クインシーとは是非やりたいと思ってた。
 クインシーはね、巨匠なんだよ。映画のスコアを何本も手掛けたことがあって、クラッシック・ポップス・ジャズ・ソウル、果てはオペラまで、何でも知ってるんだ。芸術家なんだよ」
 なるほど。マイケルが求めていたのは、この種の孔雀だったというわけか。

 そうしてアルバムの数は増え、名声は溢れる川のごとし。
 明日にでも引退しようが、まず金に困ることのない彼らだ。
 だが、彼らにはこの先何年も、運命の果てるまで突き詰めるべき創造の道のりが控えている。
 そして彼らにとって何よりも重大なのは、ランディが1日も早くステージに上がって、彼らと共に『Shake Your Body』出来るようになること。(※'79年3月に車で大事故を起こし、右足切断寸前の重傷を負いリハビリ中)
 その日のためなら、手中に握りしめた富と名声を全部投げ出してもいい。彼らからはそんな気概さえ伝わってくる。

 


1980年日本《Jam》雜誌獨家專訪:【心中住著孔雀的他】


星期四下午兩點 在好萊塢一家高級的工作室中,傑克遜家5個兒子中的三個:MichaelJackieTito一起圍坐在桌前,一邊大口吃著點心,一邊低笑著翻閱剛收到的FANS們的提問。


對於Jacksons 來說, 音樂是治愈百病的靈丹妙藥,興許也能治愈人心的扭曲。
Michael
說:我熱愛所有的音樂。不管是什麼樣的音樂,在世界的某個角落總有它的一席之地。我真的這麼認為。 那個。 。請你就照著我說的寫。衝著孩子們說「這個孩子是白人」「這個孩子是黑人」「這個孩子是日本人」,大家不都同樣是孩子嗎?為什麼要說這種讓人聯想到種族歧視的話?請不要給別人貼上標籤,這樣太愚蠢了。
這個時候,你就不難理解在『Destiny』的封底,MichaelRandy寫的附言


「鳥類中,只有孔雀是集所有顏色於一身的。我們想像孔雀一樣,藉著對音樂的愛,集所有膚色於一身。」
這個想法,回答了我的一個問題:人們對新浪潮會作何反應?
比如說,某種音樂的擁躉者對新音樂形式的非難。 Beatles的歌迷們把龐克音樂做為攻擊對像也是沒辦法的事吧。
Tito
在岔開話題開了會兒玩笑後,總結道:音樂是憑靈感決勝負的,我們必須去努力開闢前人沒到過的新天地。除了原創,別無他法。(你看50年代的小理查德所做的東西,當時許多人批評他,但現在,他是經典。

Jackson
一家雖說是演藝之家,但大部分活動只局限於音樂。最近,他們也逐漸向多方面發展。
比如Michael ,不久前出演了電影『The Wiz』,嚐到了自己被作為影像永遠流傳下去的甜頭。
他說:因為膠片可以永久地被保存。總覺得下一集怎麼還不來啊這樣心癢的很。巡演的激動和興奮隨著巡演的結束也會宣告完結。


可是,如果把它們做成影片的話,那些瞬間就會被永遠地定格。即使,那個明星死了。
對了,卓別林的電影就是這樣,讓他好像一直活在人間。傑克遜兄弟們好像都在這事上嚐到了甜頭。每個人都保存著過去10年自己上節目的錄像。


很小的時候上的Ed Sullivan showCBS的一個老牌節目)都有呢。那時候,不管遇到什麼都喜歡咯咯亂笑。”Tito說。
是啊是啊,像這樣窺探到自己小時候的樣子的感覺很奇妙。”Michael接著說,“Diana Ross的特別節目上,搞了場最棒的籃球賽。都是些個子大的可怕的運動員,還有6尺九寸高的籃球選手比爾拉塞爾也在。他操縱籃球的技巧真是好的沒話說。不過,和著旋律唱歌就不太在行了。。。”Michael偷笑。


這時候,Jackie突然插口問道:你有帶磁帶嗎?我想把這次採訪錄下來,作為收藏啊。
不論是Michael還是他的兄弟,錄唱片已經是得心應手的的事了,自己製作專輯也不在話下。
Michael
現在正在和有名的昆西瓊斯合作他的個人專輯。他們相識於電影『The Wiz』。

我們的努力得到了回報!嚐到成功的喜悅的Michael說,我從小就在混雜著一流的藝術家的工作室出入,賭博和亂發脾氣是那兒常有的事。我只是用身體去記住,呆呆地看著想學些什麼。真正激發我自立的想法的,應該說是史蒂夫旺德。我偷偷地去看他,結果很震驚地回來了,史蒂夫在那樣混亂的場合下,居然還能靜心地在做自己的事。

Jacksons
在世界各地都有巡迴過。談到日本的時候,他們的語氣熱烈了起來。
舞台以外的日本人是溫和的,體貼周到的。但是一到現場,他們都睜大了雙眼,熱烈地響應我們。雖說音樂是無國界的,但還是希望我們的演出能超越語言的障礙。不過,日本人中有很多英語很流利的人,非常讓人吃驚。看來學校的教育還是很必要的。


我很感謝大家到機場來接我。”Jackie說,讓人想起來Beatles來美國時的情景。
讓我吃驚的是,私底下的傑克遜兄弟之間,並沒有相互較勁,爭風吃醋。
發現了Randy的早熟,鼓勵他參與歌曲創作的人正是Michael。結果是不言而喻的,Shake Your Body成了大熱歌曲。


同樣的,兄弟們一點也不介意Michael一個人大出風頭。他們覺得對Michael來說,他應該有自己獨自的創作道路,應該多方面發展。

想學的東西太多啦!”Michael眼中閃著光,特別想和昆西合作。昆西是藝術巨匠,電影劇本都能親力親為,古典,流行,爵士,靈歌,甚至是歌劇,他什麼都懂!他真是個藝術家!原來如此,Michael所追求的,是不是這樣的孔雀呢?


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